Avocadoの投資・トレード日記

小資金からの投資・トレードの記録です。日々の成長を記録します。土日定期更新、不定期でコラムを書きます。

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相場との距離感について

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最近、トレード負荷と望むパフォーマンスの関係性や、

中毒との関係性など、相場との距離感について考えることが多くなりました。

今回の記事ではそのことについて書いてみたいと思います。

 

きっかけは日本の個別株投資をしようとして体調を崩したことでした。

ファンダメンタル分析をすれば、特にバリュー銘柄について、

ダウンサイドリスクをコントロールすることができる。

銘柄に対する理解の深さが、パフォーマンスと深く関係する。

この努力の介入余地の大きさは裁量でのFXやCFDにはないものでした。

 

やるからにはインデックス投資よりもパフォーマンスは大きくしたい。

(欲張るなら、2・3年で2倍を狙いたい)

そういうつもりで、情報収集を始めました。

しかしながら、決算シーズンの1日数百の短信に目を通す作業で音を上げ、

体調を崩すということで、降参宣言をしました。

 

個別株の情報収集、銘柄研究は、

投資・トレードの中でも負荷が大きいもののひとつです。

クオンツシステムトレードの検証も負荷が大きいですね)

負荷が大きいからと言って、大きな成果が必ず出るわけではありませんが、

相場で安定的にパフォーマンスが出せるものには、

必要条件として存在することが多いと思います。

 

現在運用中の戦略は、負荷を極力軽くしています。

週末は各アセットと米国株のチャート点検。

平日は1日1回のオプションのポジション点検、

あとは値動きが期待できるまで放置できるように、

リスク管理に努めています。

正直思うのです。負荷を軽くしてパフォーマンスを出せるのか。

心血注がずに、億トレになれるのか。

個別株でしのぎを削っている投資家のような人達のことを一流というのではないか。

でも、おそらく、負荷を増やさない方向に、

自分の向いているスタイルがあると思います。

 

今も個別株投資にリベンジしたいという執着は残っています。

この執着は、中毒から生まれた、

ある種の強迫観念であると思うようになりました。

 

相場に対する中毒と、依存症という病気の面を考え始めました。

投資・トレードはギャンブルではないという主張があります。

不確実で確率的な現象にベットするということで、

ギャンブルしようとすればギャンブルできる対象だとも言えます。

ただ、依存症という面で見れば、

相場中毒もギャンブル中毒も似たようなもので、

それを区別する言説はあまり見られません。

 

ポジポジ病(いてもたってもいられずポジションをすぐに持ってしまうこと)は、

マイルールや自分を律するということでの対処法が多く主張されています。

けれども思うのです。

中毒・依存症という面においては、自分の意志など無力なケースがほとんどです。

ポジポジ病が意志の力で治らないのは、まさに病気だからです。

 

ドラッグや酒の依存症は、

それを全く摂取しない状況を継続することだけが治療法の柱であり、

適度にそれらと付き合うという折衷案は存在しません。

相場の中毒性で、「適度に相場と付き合う」という距離感は存在するのでしょうか。

 

インデックス投資はやることがなく退屈とされています。

ただ、資産価値の増減を毎日チェックし一喜一憂することはできます。

これを中毒と呼ぶには過大な気はします。

値動きを忘れ、日常生活の充実にエネルギーを割くことは十分できるからです。

相場との距離は十分に保たれています。

とりあえず一番相場との距離が遠いインデックス運用のケースを考えると、

当たり前ですが相場との距離は、

取引スタイルと密接に関わっているということになります。

 

もう一つ、相場との距離を伸び縮みさせる要素があります。

それは、「相場に何を期待するか」です。

例えば、結果・パフォーマンスを期待する場合、

その高い期待を達成できれば快楽が、できなければ失望

という感情の起伏が発生します。

これは中毒を引き起こす一つの要素となります。

また、結果を出すために、情報収集やファンダメンタル分析を行う行為は、

それ自体が楽しみであり、

のめりこむ行為と言えるでしょう。

 

大事なのは、日常生活のどのくらいを相場に捧げるかということです。

これを決めずに、相場に熱中していましたが、

そろそろ頭を冷やして考えるようになりました。

 

結果が出ているから無制限に捧げるというわけでもないと思います。

日常生活で相場以上に大切にしていることがあるからです。

結果が出ていないが捧げる場合も限度を決める必要があります。

のめりこんで犠牲を払ってしまう、その行為とメンタルが、

悪い結果を招いているということは十分あり得ます。

追い込まれているとポジションの持ち方も、

ホールドの限度もお粗末になってしまいます。

 

「相場は懐が深い」、とされています。

取引時間軸・銘柄(アセット)・取引スタイルの多様性は高く、

スタイルによっては別のスタイルと全く別のゲームをしていることさえあります。

その一方で、正解もまた存在しません。

存在するのは、自分の適性に見合った取引スタイルだと思います。

これは自分が当初望んだものとは限りません。

ただ、それなりの取引数と時間をもって見極めていき、

「退場せずに長く続けられる」ということが、

一つの判断基準になるのではないかと思います。

 

個人的には、相場中毒は治らないと考えますが、

相場との距離は近づきすぎさえしなければ、

意志のコントロールの利くような相場との適切な距離というのは、

存在すると考えています。

もちろん、全く相場に触らないというのが、正解になるケースもあるかもしれません。

相場は人生を破滅させたり、身を持ち崩す危険性のあるものであったり、

楽しみだけを与えてくれるものではなかったりします。

 

一流トレーダーは尊敬を集め、その努力も想像がつかないことがありますが、

一直線にそれを目指すことが正解とは限りません。

自分と相場との距離感を見直し、過度に人生を相場に捧げず、

継続して生き残れることが結果として善いものをもたらすことがあると思います。